先日、TVにて、
とあるドキュメンタリーをみた。
ロック歌手の、闘病を描いたものだった。
そのドキュメンタリーは、その歌手の彼女が、彼の葬式帰りにインタビューを受けるところから始まる。
それは、私の住んでる街でのインタビューだった。
そして、そのロック歌手の家へ行くと、
見慣れた景色を歩き、途中からモザイクがかかっていたが、ああ、この家、もしかして、あそこでは。と思い当たった。
彼は闘病の末、若くして亡くなってしまって、
その彼女がしばらくののち、夥しく彼のモノで溢れたその家を片付けて出て行くところでVTRは終わる。
泣いてしまった。
若くして亡くなってしまった彼に対しても、
残された彼女に対しても。
とても可哀想で。そして、じぶんに置き換えてしまう。
母の時、祖母の時、そして、実家の空き家を目の前にした私。
悲しいね…寂しいね…
翌日、記憶を頼りに、その家を見に行った。
やはり、そのロック歌手の家だった。
同じドア。建物はモザイクがかかっていても特徴的過ぎてすぐにわかった。
寂しくなった。
同じ時、近所に住んでいて、同じ景色を見ていたであろう人が、
どんな気持ちでこの街を眺めていたのか。
私もいつ死ぬかわからない。
闘病しながらこの街を眺めるのだろうか。
他人事とは思えなかった。