去年の年末に引き受けた仕事
役職を変えられて納得がいかなかったので
それならばやれませんと白紙にしたが
なかなか自分の思う場所に辿り着けなくて
報われないなあと感じるのである。
自分に原因があると思う。
だけどそれをどうする事も出来ない。
落ち込む。
去年の年末に引き受けた仕事
役職を変えられて納得がいかなかったので
それならばやれませんと白紙にしたが
なかなか自分の思う場所に辿り着けなくて
報われないなあと感じるのである。
自分に原因があると思う。
だけどそれをどうする事も出来ない。
落ち込む。
年末に引き受けた仕事が、3月〜と言われてたのだが、全然連絡がなく怪しいので
こちらから連絡して、確認した。
そしたら5月に伸びたみたいで
さらりとそう言われ、そこも酷いと思ったが、
もっと酷いことが待っていた。
仕事の役職を変更したいと言われたのだ。
は?
あまりにサラリと書いてあったので最初は見落とした。
二度見して、もしかしてそういう事?と気づいた。
確認したら、やはり役職の変更だった。
びっくりした。
文面にはランクダウンの表記があったのだ。
相談もなしに、というかそこに初めて
〇〇の理由でこうしようと思ってますが良いですか?と書いてあった。
そこで、いやだと言えばよかったかな?
私の返事は
話が違うので、今回のお仕事に関しては白紙にしてくださいと言った。
それに対する返事は、単に残念そうにしてるだけだった。
全然わかってないことに腹がたち、
私は
言われてた役職と違うことを告げ、
話が違うので私としてはショックでしたと言ってやった。
こんなこと言いたくないが
本心から楽しみにしてた分、ショックが大きくて傷ついたのだ。
どういうことですか?
私にはその役職は出来ないとでも言いたいのですか?
もし、私から乗り換えるとしても、事前にこっそり相談しませんか?だって話が違うのだから。と思うのだ。
だって、あの時、
「私はそのお仕事やりたいと思ってますが、そちらは私で良いんですか?」とちゃんと聞いたのだ。
その時、
もちろんと。宜しく、と言ってたよね?
一気にやる気がなくなった。
だから、ずるずる日程伸ばされても何も言わなかったし、やる気は変わらなかった。
だけどこんな事になって
もうこの仕事に関して嫌な気分になったし
ずるずる伸びて日程が合わない可能性もあるし、どうでも良くなった。
電話もかかってきたけど出なかった。
本当に酷い。
私が、あの人が謝るんだったら
百歩譲って仲直りを考えても良い
と言ってた事に対して
その場を設けても良いかとの提案があった。
ただし、場を設けるのは謝罪の場ではなく、
それのどこが不快だったのかをひとつひとつ検証したのちに、謝罪する場だ。
検証するのは
パワハラの加害者が、自分の振る舞いの良くない所を理解していないからだそうだ。
理解させて、謝る場所だ。
面倒臭いなと思った。そこに私が立ち会うのが。
加害者が、
申し訳なかった
帰ってきて欲しい、と心底反省しているのならば、自分から謝りたいと働きかけをしてくるはず。
電話だってLINEだってできるわけなのに、してこないです。
と伝えたら、社長は
直接当事者同士が直接電話やLINEをするのは良くない。それは彼も言っていた事です。
ああそうですか。
ではそれならば
そういう場を設けて欲しいと、あの人が自分から誰かに言うなり、
とにかくあの人からの働きかけがあっていいのでは?と思うのです。
謝る場があれば謝ろうと…なんて、
セッティングしてくれるのを待っているのもダメだと思うし、
そんなの嘘だと思う。
社長はパワハラ認定は裁判所じゃないと出来ないとずっと言っていたので、
だとするならば
じゃあ、その検証する場の、
これはあなたが悪い、悪くない
という認定だって裁判所がするしかないじゃんと思った。
本当にパワハラ認定して欲しければ弁護士を紹介する云々とか言い出して
お前もバカじゃねえのとイライラした。
昨日も一昨日も、下の子に電話して
俺は悪くないとずっと言ってたそうなので、
そんなヤツが反省してるわけねえし
もう辞めさせてくれよ!
知ったことか!
気持ちの悪いパワハラ老人のポエムには
世界だ
自由だ
欲望だ
生命だ
などなど大袈裟な言葉が並んでいて吐き気がする。
アホなことばっかり言って
お前に何がわかっているのかと思う。
現実を見ろ。
あんたのポエムからは、自分のことばかりで、他人を理解しないんだと言うことが書いてあるよ。
自分が英雄にでもなったつもりかよ。
私は、10年祖母の介護をして、看取った。
改めて、
生きると言うことは、どう言うことか。
生きるとは、こう言うことなんだと思う項目、
ちいさな積み重ねが、いっぱいいっぱいあった。
祖母との時間で知ったこと。
介護で大切なのは寄り添うこと。
目を光らせて危険から守ること。
ときには戦うこと。
自分のことは二の次にして、
その人に寄り添うことが、一番重要。
でも、これは介護に限らずだと思った。
背中で語ろうとか背中で感じて欲しいとかいってる人間の背中は偽物。
黙ってやるんだよ、とにかく他人に求めず、期待せず、黙ってやる人の背中を、ひとは見るんだよ。
生きると言うことは
祖母の洋服を買い、パンツを買い、
それがそのうち紙パンツになり、
爪を切ってやり、
髪をとかし、カサカサになってしまった手に化粧水で潤いを与え、ハンドクリームをぬってあげる。
すっと手を差し出してフォローして、
その人がショックをを受けないように、なんでもさりげなくやってあげる。
祖母が作った小さなアパートの管理をして、
庭の草をむしり、大きくなってしまった木を1人できり、
母のいない寂しさに耐えながら
祖母のお骨を持って、親戚のおじさんが掘ってくれた土の中へおさめて、介護を終えたんだ。
何が自由だ
何が欲望だ
何が戦いだ
何が暴れてやるだ
本気で気持ちが悪い。
他人に寄り添うことを知らずに押し付けてばかり。
現実を見ろ
自分を捨てて、大切な人を守りきってみろよ
ロックだ
パンクだとか
思想の話ではなく
生きるって、もっと生々しいものだよ
だからあの人は孤独で、
それはそれでむくいは受けているのかもしれないけど
立場を利用して私を怒鳴り、自分は悪くないと主張をしている。
なんてカッコ悪い。
ほんとうに気持ちが悪い。